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寺宝

群馬図屏風 京都国立博物寄託

群馬図屏風 京都国立博物寄託

群馬図屏風 京都国立博物寄託

 

 

雲谷等顔筆 六曲一双  
高さ153cm 横355cm
雲谷等顔(1547~1618)は山口の毛利家に仕えた絵師で、狩野永徳や長谷川等伯らと並び称される桃山画壇の巨匠である。本名は原治兵衛直治、肥前国藤津郡能古見(現・佐賀県鹿島市)の城主・原豊後守直家の二男として生れたという。
等顔がはっきりと歴史の上に登場するのは、文禄二年(1593)のことである。この年、毛利家の当主・輝元は、すでに継ぐ者もなく荒廃していた雪舟(1420~1506?)の旧居・雲谷軒(雲谷庵)と雪舟の大作「山水長巻」(毛利博物館蔵)を授け、雪舟流の再興を命じる。と同時に、直治も姓を「雲谷」、名も雪舟等楊の「等」字を取って、等顔と改めるのである。等顔47歳のことであった。
新発見のこの「群馬図屏風」はスケール感豊に描出された野馬の群れは、観る者を魅了せずにおかないだろう。堂々たる馬体、風になびく美しいたてがみなど、神馬のごとき威厳に満ちた姿がとりわけ印象深い。
等顔の現存する屏風絵の馬図としてはこれまでわずか4作品しか知られていなかった。その意味でも、5作目に当たる本図の発見はまことに意義深いものがある。(山本英男)

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