壷阪寺について

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寺宝

本多俊政公像

本多俊政公像

江戸時代 大和高取藩初代藩主 因幡守 別名:正武、俊正、利朝
父本多利久とともに豊臣秀長に仕える。秀長の死後、豊臣秀保に仕え、その死後秀吉の家臣となった。関ヶ原の戦いのとき、東軍に与して会津征伐に従ったため、居城である高取城は西軍に攻められたが、城主俊政が不在にも関わらず城は遂に落ちなかった。 このため戦後、1万石の加増を受け高取藩2万5千石の初代藩主となった。 慶長15年(1610)閏2月8日に死去。享年60才(戒名 利生院殿秀阿春大禅定門) 後を子の本多政武(1598年~1637年)が継ぐ。政武死後嗣子がなかった為、高取藩本多氏は改易となった。 高取藩はその後、植村家政より家壷まで14代続く。 本多俊政像も豊臣秀長像と同時期の作と思われる。 平成20年に約400年ぶりに修理を行い、壷阪寺灌頂堂(旧因幡堂)に安置。

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